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藤原親盛 (左衛門尉) : ウィキペディア日本語版 | 藤原親盛 (左衛門尉)[ふじわら の ちかもり] 藤原 親盛(ふじわら の ちかもり、生没年不詳)は、平安時代末期の武士・歌人。藤原北家長良流。山和守藤原親康の子。弟に信親、子に親時がある。官位は従五位下、左衛門尉、大和守。後藤親盛とも称した。 北面武士として後白河上皇に仕える一方、歌人としても頭角を現す。仁安2年(1167年)閏7月12日に右兵衛権少尉に任じられ、翌年1月11日には平康頼と同時に左兵衛少尉に任ぜられる〔中村文『後白河院時代歌人伝の研究』笠間書院、2005年、407-408頁〕。承安2年(1172年)閏12月の東山歌合などに出詠している他、自らも二度にわたり歌合を主催している。俊恵・道因・小侍従・西行といった同時代の歌人との交流があり、『千載集』以下の勅撰和歌集に入集。私撰集『百題抄』、家集に『親盛集』を遺している。また今様でも上皇の弟子であった。 建久3年(1192年)3月、上皇の崩御に際して出家。法名を見仏と称す〔ただし元暦2年(1185年)に当時焼失していた青龍寺の再建を僧見仏が法皇に奏上したとの所伝もあり、それに従えば親盛の出家はこれよりかなり前であったことになる。〕。没年を含めその後の事績は不詳。 == 脚注 ==
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